#12 イヤイヤ期…息子を嫌いになりそうだった私を救ってくれた言葉の数々

「子どもに言うことを聞いてほしかったら、まず親が子どもの言うことを聞いてあげてください」


この言葉、皆さんはにわかに信じられますか?


こんにちは。Nonmamaです。

最近、ある本に出合いました。

実はここのところ、長男(現在2歳11か月)との関係がうまくいかず、悩んでばかりの毎日を過ごしていました。


何に悩んでいたかというと、

・朝、ベッドの中から出ようとしない。断固拒否。

・着替えをしようとしない。「イヤ!」と言って頑なに拒否。

・食事の前後に手を洗わない。これも頑なに拒否。

・食事の時じっと座っていられない。すぐ立つ。遊ぶ。フラフラほっつき歩く。嫌いな食べ物を「ブーッ!」と吐く。

・トイレに行こうとしない(トイトレ中)。おしっこでパンツがビショビショになっても何も言わない。

・お風呂になかなか入ろうとしない。入るまでに「イヤ」を100回くらい言う。抱っこして連れていこうとすると暴れて拒否。酷い時はお風呂から出るまでずっと泣きわめいている。

・次男の授乳の邪魔をする。

例)「ママーこれで遊ぼう~」「おっぱい飲ますからちょっと待って」「イヤ!遊ぶ!!赤ちゃん置いて!!」「すぐ終わるからちょっと待って?」「イヤ!置いて!」と言いながら私を叩く。

・上記のように気に入らないことがあったら叩く。大人の言うことをかき消すかのように「あーーーーーー!!!!!」と、大声をあげる。


このような素行に、どう対応したらよいか、毎日頭を抱えていました。


イヤイヤ期とはいえ、なぜここまで頑ななのか・・・

長男はちょっと異常なんじゃないか・・・そう思っていました。


私はどちらかと言うとパンクチュアルな性格です。

時間通りに家事を進めたいし、次男の授乳や睡眠もしっかり管理・コントロールしたい。でも彼はいつも上記のような行動で私の“タスク”の進行を邪魔してきます。(もちろん長男はそんなつもりは全くありませんが。)

そんな長男に対して、私は「なんでこの子は一人でかしこく遊べないの」「なんでこの子はじっとしてられないの」「なんでいつも私を困らすようなことをするの」・・・いつもそう思っていました。そして、いつも彼のことを「扱いにくい」「育てにくい」、そんな風に思ってしまっていました。


いつしか私は、彼と会うのが毎日憂鬱になっていました。

朝起こしに行くとき、保育園から帰ってくるとき、私の胸はいつもザワついていました。

あぁ・・・また長男の相手をしなきゃいけないのかぁ・・・と。。。。


手洗い・食事・トイレ・お風呂、毎日の生活のあらゆるシーンで長男のイヤイヤが爆発します。その度に私は「またか・・・」と頭が痛くなります。そして私の母が横から「早くしなさい」と長男を急かします。(※現在新居準備中につき私と息子2人は実家に居候中)その言葉に反応してもっとイヤイヤが酷くなります。毎日この繰り返しでした。本当に、どうしたら良いのかわかりませんでした。


「次男を見てヤキモチを焼いているのかなぁ。」

そう思っていました。次男はまだ赤ちゃんなので、なんでもお世話してもらえる。でも3歳になろうとする長男は、ある程度なんでもひとりでできるようになってきたので、大人からあまり構ってもらえない、それが寂しい、もっとお世話して欲しいと思っている・・・長男が度々ぐずる理由をそう考えたのです。


それならもっとお世話してあげよう。きっと長男は寂しいんだ。


そう思ってある朝、いつものように長男を起こし、着替えさそうとしたのですが・・・。


事件は起こってしまいました。
着替えさそうとしたら長男は頑なにそれを拒否。

「イヤ!着替えない!」


いつものことではあるのですが、朝食時にも散々ワガママを言われていたので、私のライフは既にゼロ。次男の夜勤で少し寝不足気味ということもあって、いつもより苛立ってもいました。


長男の着替えを早く済ませたい。

オムツがおしっこでビショビショだから着替えないと汚い。


そんな事ばかり考えてました。


「イヤじゃない、早く着替えるよ!」

「イヤだ!」

何度か押し問答を繰り返しましたがそれでもパジャマを脱ごうとしないので、私は無理矢理彼のパジャマを脱がそうとしました。長男は案の定、私を叩いてきました。


パチッ!!


その瞬間、私の中で何かが弾けてしまいました。私は瞬間湯沸かし器でしょうか・・・。長男の左頬を思いっきりビンタしていました。


「いい加減にしなさい!!!お世話して欲しいんでしょ!?お世話して欲しいんだったら素直に応じればいいじゃん!!いちいち、いちいちイヤイヤ言わないの!」


信じられないですよね。「お世話して欲しい」だなんてただの私の仮設なのに、長男に言ってもなんのことかさっぱりわからないのに、そんな言葉が口から普通に出てくるんです・・・。自分でも言いながら驚きました。


ビンタされた長男は
「痛いーーーーー!痛いーーーーー!」
と私のことを見ながら左頬に手を当て、大泣きしていました。


そんな長男を見て「やってしまった・・・」という後悔の念がこみあげてくると同時に、「コイツが悪い。サッサと着替えないからいけないんだ」と長男を叩いたことを正当化する自分もいました。


怒りって怖いですよね。一度スイッチが入ってしまうと、自分を抑えきれなくなるんです・・・。それは2歳児や3歳児に対してもそう。ちょっと気を許すと「虐待」と言われかねない行動に出そうな瞬間があります。「あります」というか、いつもそれと隣り合わせです。彼の言動に腹が立って仕方ないとき、彼をじっと見ながら、頭の中で彼に殴る蹴るの暴行を加えている時がよくあります・・・。書いてて自分でも恐ろしいですが、残念ながら事実です。


0歳や1歳の時はあんなにかわいかったのに、いつからこんなになったんだろうって、心底思うし、自分の子どもに対してこんな感情がわくなんて思ってもみなかったので、ただただ悲しい。なんでこんな風に思っちゃうの?毎日毎日、自己嫌悪しかありませんでした。


彼にビンタしてしまったことを激しく後悔した私は、ケータイを取り出しググりました。


“2歳 育てにくい”


そこで『「育てにくい子」と感じたときに読む本 ― 悩み多き年齢を上手に乗り越えるためのアドバイス(佐々木正美 著)』という本に出合い、Kindle版が出ていたので迷わずポチ。


私は泣きながらこの本を読むことになりました。


私を救ってくれた言葉の数々

●いちばんいい方法は、子どもを変えようとしないことです。「親が望むような子にしよう」と思うのではなく、「子どもが望むような親」に自分自身がなるといいのです。子どもがしてほしいことをしてあげて、子どもが望まないことはなるべくしないようにする。たったそれだけのことでいいのです。そうすることで、子どもはいきいきと笑顔になることができます。成長や発達の早い子も遅い子もいるでしょう。器用な子、不器用な子もいるでしょう。けれど、その子なりのペースで自信をもって育っていけるようになります。そしてそのような子育てはお母さんにとっても楽なのです。楽な子育てが、上手な子育てなのです。


冒頭に書かれているこの言葉で、私の肩の荷はもう半分おりたような気がしました。


あぁそうか、子どもを変えようとしても無理なのか。私が、子どもの望む親に変わればいいのか。


自分が子どもだった頃、「なんで母親ってこうなのかな」「もっとこうして欲しいな」ってよく思ってた。自分の好きな「ママ」がいつもそばにいてくれたら、子どもはハッピーじゃん。なんだ、簡単じゃん。自分が、彼の望む母親になればいいのか!

●乳幼児期は、親にとって「手がかかってしょうがない」というくらいが普通なのです。だからこそ、「手がかからない」「何でも早くできる」ことがすごいと思うのかもしれませんね。でもそれは、単に、「そのとき手がかからなかった」というだけのことにすぎません。親が喜びすぎたり、ほめすぎたりする必要もないのです。

いまの社会全般がそうなのですが、できるだけ手間を省いて、できるだけ早くやることがいいことだと、そう思いすぎているような気がします。けれど、こと育児の面で言えば、「早く」「手間なく」はいちばんよくないのです。手をかけ、時間をかけ、子どもが成長するのを待てることが良い育児なのです。親が楽できる育児に、いいことなんてめったにないんだと、そんなふうに思った方がいいですね。

子どもは、親が自分に喜んで手をかけてくれることで、「信頼」や「思いやり」を学びます。手がかからない子は楽なので、親は手をかけてくれないこともあります。信頼も思いやりも学べないということもあるかもしれません。


考えてみたらそうですよね。手がかかって普通なんです。幼児ですから。そこに効率化を求めてはいけないんです。仕事や家事は効率化していいけど、子育てに効率なんて通用しない。パンクチュアルな私は、どこかで子どもに“効率”を求めていたのかもしれません。いや、求めていました。「こうして欲しい。」「ああして欲しい。」「そうすれば私の仕事が早く片付くから。」そんなことばかり考えて、思い通りに動いてくれない長男に、ひとり勝手にイライラしていました。でも私が間違っていました。相手は生身の人間です。しかも幼児です。彼には彼なりの想いや意思があります。できることは増えたけど、子どもだからお母さんに甘えたくて、お母さんにはニコニコしていて欲しくて、一緒に笑顔で過ごしたくて、ハグして欲しくて、抱っこして欲しくて・・・。


たまに長男が言ってました。「ママ、ニコニコして~?」って。これは長男の切実な願いだったんですね。「ニコニコして~?」って言われて、笑おうとすると、ずいぶん笑ってなかったからか、笑顔が引きつりました。「あれ、笑うってこんなに大変だったっけ・・・?」って・・・。

親が自分に手をかけてくれなかったらどうでしょう。

私がもし子どもの立場だったら・・・。

お母さんはいつも「それくらい自分でできるでしょ!」と言って、何もしてくれない。

遊んでほしいのに、家事や自分のことで忙しくて「後でね」ばかり。何よりちゃんと自分のことを見てくれてない。目が合わない。お母さんは私のことなんて気にかけてくれないんだ、そう思っても仕方ない。考えただけで寂しいものです。私は、長男にそう思わせてしまっていました。だから彼は着替えも食事もトイレもお風呂も、全部拒否していたのです。ママの言うことなんか聞いてやるか!って。そこに私からの愛を感じられなかったからなのでしょう。


●子どもを育てるときは、その子がしてほしいと願うことなら、何をどのくらいやってあげてもいいと私は思っています。十分に手と心をかけてあげていいのです。「過保護になってしまうんじゃないか」と心配される方が多いですが、実際に「過保護な親」はものすごく少ないと、私は思います。現在の親のほとんどは「過干渉」です。過保護と過干渉を似たようなものととらえている人が多いようですが、全然違うのです。過保護は自主的でいきいきとした子を育てますが、過干渉は自立の芽を摘みます。(中略)人間は「絶対に保護してもらえる」と思うと伸び伸び行動ができるものです。(中略)いつでも守ってもらえると思うと、子どもは伸び伸び成長して、自分らしさをあますことなく発揮できます。(中略)自分自身の価値は、他社に評価されることでしか実感できません。幼児期だったら親や先生といった人に愛され、たいせつにされて初めて「自分は価値ある存在だ」と自覚できるのです。(中略)


●子どもをダメにするのは過保護ではなく過干渉なのです。(中略)自主性や主体性というものは、やりたいことを伸び伸びとやっていくことで育つものです。けれど、「やらなくてはならない」ことばかりやらせすぎると、子どもは自分が本当は何がしたいのか、そちらに気が回らなくなってしまうのです。(中略)もちろん、育児にはやらなくてはならないことをさせること(干渉)も必要です。しつけは親の義務です。けれど、しつけの為とは言いながら、親の都合で干渉してしまうことも多いと感じます。「時間がない」「将来の為に」と大人の理屈で考え、その子のペース以上に「早く早く」と急がせてしまう、それが多すぎるから過干渉になるのです。育児が楽しくなるコツは、「できるようになる時期は、自分で決めていいよ。それまで待ってあげるからね」と思うことです。子どもの願いをできる限りかなえてあげ、つぼみがふくらみ、花開くのをゆっくり待ってあげられると良いですね。花が開かないこともあるでしょう。親の望むような花でないこともあるでしょう。でも、そのすべてが育児の楽しさです。私の言う「過保護」は、「待っててあげるよ」というメッセージを子供に伝えることなのです。


完全に失敗しました。「待つ」どころか、急がせていました。


元々私は長男に対して、なんでも「待ち」の姿勢でいました。着替えをしたくなければ後からすればいいし、抱っこをせがんできたら肩が痛くても腕が痛くてもずっと抱っこしてあげていたし。でもそれは、インドに住んでいたからです。夫の仕事の関係で私たち家族はつい半年ほど前までインドのチェンナイという都市で生活をしていましたが、そこは日本というパラダイスとは全然違うわけです。長男は、その小さな脳みそと小さな体で、インド人に囲まれながら必死に生きていました。彼は現地のプレスクールに通っていたのですが、先生はみんなインド人で、園児の半分はインド人やらフランス人やら韓国人やらの外国人。そんな環境でもたくましく、みんなと一緒に遊んで、食べて、寝て起きて、そしてまた遊んでいました。それはそれはたくましく、毎日頑張って、生きていました。だから「せめて」ではないですけど、親として、甘えさせられるだけ甘えさせてあげようと思っていました。多少自分がしんどくても、この子が満足するまで甘えさせてあげようと、そう思っていました。


でも、日本に帰ってきてから、私は変わりました。

長男は変わっていません。私が変わったんです。


それは、「もう日本だから。協調性が必要だから。周りの目もあるし。なんでもできるようにならなきゃだめだよ。」と思うようになったのです。


日本ってとっても窮屈な国ですよね。レストランで食事をしようものならば隣の席とは数十センチしか離れていないし、電車ではいつも知らない人と肩をぶつけないといけないし。外で子どもが走り回れるところは限られているし。何より、周りの大人の、子どもへの目線がとにかく冷たい。そして、親に向けられる目線もこれまた冷たい。だから他人の目線がいちいち気になるのです。見ず知らずの他人から良く思われたいがために、冷たい視線を向けられないために、自分の子どもには「かしこく」なって欲しい・・・。そう思っていました。完全に、「大人の都合」ですね・・・。

そして少なからずとも同居する実母の影響もありました。母は、長男を見るとき、私と私の姉の幼少期の時の姿を、彼に重ねています。私と私の姉は、非常に「かしこい」子どもでした。食事のときはちゃんと座ってられたし、ご飯も魚も肉も野菜もなんでも食べたし、勝手にそこらへんで寝ていたし、親に手をかけさせない遊びを勝手にしていたし。

母にとっては「手のかからない」子ども達だったと思います。 


でも今、目の前にいる孫(私の長男)は、自分の娘達の小さかった頃とは大違い・・・。

まるで怪獣です。

食事中は座らないし、食べ物を投げるし、手で食べるし、立って食べるし、歩き回るし、偏食するし・・・。


きっと「ダメな子」に映ってるんでしょうね。いつも「こら!」「座りなさい!」「投げちゃダメ!」「スプーンで食べなさい!」「汚い!」「もぅ!!」・・・彼にこんな言葉ばかりを向けています。そして、私は、口うるさく叱る実母を目の当たりにして「そうか。ちゃんとしつけなきゃいけないんだ」と思うようになり、母と同様、「あれしなさい」「これしなさい」と、口を開けば「やらなければいけないこと」そして「やってはいけないこと」ばかりでした。

“育児が楽しくなるコツは、「できるようになる時期は、自分で決めていいよ。それまで待ってあげるからね」と思うこと”


家の中にガミガミ言う母親が二人いるようなものです。それでストレスが溜まって、反抗してしまって、そしたら、私にビンタされて・・・。なんて理不尽なことをしてしまったと、猛省しました。泣きました。長男のことを思うと涙が止まりませんでした。

ごめん、ママが悪かった。間違ってた。


●母性というものは、子どもを「ありのままでいい」と包み込む「承認」の愛情です。「保護」の気持ちと言いかえてもいいでしょう。おんぶといえばおんぶを、抱っこといえば抱っこを、遊んでほしい時に十分な遊びを与えてあげるのが母性です。そうやって受容する「母性的な愛情」が、幼児期までは絶対的に必要なのだと私は思っています。言いかえれば、母親の存在が何よりも大事だということです。しかし、今のお母さんたちは「しつけよう」「ちゃんと育てよう」と一生懸命になるあまり、非常に「父性的」になっていると感じます。確かに社会的ルールを伝える「父なるもの」は必要ですが、それは十分な母性が与えられて初めて子どもの心に入っていくものなのです。(中略)「こんな子に育ってほしい」という願いはあるでしょうけれど、それはできるだけ見せないようにして、「子どもはどんな親を求めているのか」を考えて育児をされるといいですね。子どものしてほしいことを、してほしいときにやってあげるのです。そうすれば子どもは、「今度はぼくがママの言うことを聞いてあげよう」と思うものです。


正直彼に対して「ありのままでいい」なんて思ったことありませんでした。

それは0歳の頃からです。よその家の子どもといつも比べていました。

「もっとこうなればいいのに」「もっとこうして欲しい」

自分の子どもを目の前にして、自分の理想の子ども像ばかりを追いかけていました。彼には本当にかわいそうなことをしていました。まずは自分の子どものありのままを受け入れる。しつけや社会性はそれから。母と子の信頼関係ができてから・・・。


●手のかかる子には、思う存分手をかけてあげてください

感情のコントロール、情動のコントロールが苦手なお子さんがいます。こういう子たちは、泣いたら止まらないとか、いつまでもダダをこねるとか、そういうことでお母さんを困らせることが多いのです。(中略)手のかかる子たちは、親の手が伸びるような、そのようなふるまいをしてくれているわけです。自ら必要なものを手に入れる努力をしているとも言えるのです。欲しいものを欲しいと言える、強い子なのです。

そして「お母さんやお父さんなら、必ずこたえてくれる」という信頼感があるからこそ、「手をかけてくれ!」と主張するのですね。この激しい感情は、信頼できる人にしか向けられないものです。多くの場合、それはお母さんです。泣いて泣いて、しかられても怒られても訴えたいほど、それほどお母さんを信頼し、頼っているのです。「この子を育てられるのは自分だけなのだ」と、誇りをもってください。そして、手をかけられることに、どうぞ喜びを見いだしてください。手をかけたぶんだけ必ずいい子になるのだと、そう信じてください。きっとそうなりますからね。


一見、子どもに手がかかることって「恥ずかしいこと」と思いがちですよね。でもこれを読むと「うちの子は手がかかってしょうがないの」なんてママ友に愚痴を言ってる場合ではありません。手をかけさせてくれることがどれだけ喜ばしいことか!子どもが求めてきたら喜んでそれをしてあげる、子育てはたったそれだけのことなんだと、佐々木先生のこの本を読んでそう思い知らされました。


これを読んだ日から私と長男の関係は一変しました。


まず、私の気持ちに余裕ができました。


長男が着替えずにベッドの上でトランポリン遊びをしていても、裸で走り回っていても、

「あぁ、この子は裸になると気持ちよくて走りたがる子なんだな」← (;´∀`)

と思うと全然イライラしませんでしたし、朝食の後、保育園に行くまでの間、いつも私はその後の家事と自分の用事の為に、彼が「ママ~遊んで~?」と言っていても、まともにとりあわず(ダメ親)、せかせかと食事の片付けや身支度などをしていましたが、

「この子が望んでいることは何でもしてあげよう。ママを欲しているんだ。」

と思うと、片付けが少し遅くなろうが、身支度が遅くなろうが、そんなの全然平気で、全力で彼と遊べるようになりました。


私がそうやってイライラすることなく彼とかかわることで、彼自身はそれまでみたいに急に大声をあげたり、癇癪を起したりすることがとんとなくなりました。前より一段と過ごしやすくなり、心なしか私の言うことをちゃんと聞くようになったと思います。


それは間違いなく私が変わったから、ですね。


今までみたいに大人の都合でピシャリと彼の言動を叱りつけるのではなく、いったん彼のことを受け入れよう、理解しよう、というステップを加えることで、彼の目線まで下がって物事が言えるようになったからだと思います。


最近彼はハサミでチョキチョキ紙を切るのにハマっているのですが、ハサミを持ったまま飛び跳ねたり走ったりすることがあります。

今までの私なら

「お~~っΣ( ˙꒳​˙ )!!!危ない危ない!はさみ持ったまま飛び跳ねちゃダメ!!」

みたいな言い方をしていたと思いますが、今の私は

「K君(長男の名前)、はさみは机の上に置いて、それから机を離れようね?」

とゆっくり彼の目をみて話せます。すると彼も「うん」と言ってちゃんとはさみを机の上に置くんです。

「この子は気が散りがちだし、まだハサミを使いだして間もないから、こういうことを平気でやっちゃうんだろうな」と、一旦彼の言動を受け入れると、彼に対してわかるようにゆっくり話せるようになりました。そうすると彼はちゃんと私のリクエストに応じてくれるんですね。私たちにとって、それは大きな進歩でした。


この本を読んで、「子どもを愛する」とはどういうことかを学べたような気がします。ただ「かわいい」「かわいくない」ではなく、子どもの「ありのままを受け入れる」ことこそが「子どもを愛する」ということなんだな、と思いました。私は母親として、それが足りていませんでした。

「ありのままの子どもを受け入れる」ということは、ある意味覚悟のいることです。もしかしたら目の前にいる自分の子どもは、どうしても受け入れがたい何かを持っているかもしれませんからね。でもそれも含めて全部「認める」、そして「愛する」。母の心は深くなきゃいけないなぁ、と、そう思った一冊となりました。


お読みいただきありがとうございました。



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我が家のねんトレ挑戦記

2016年2月長男、2018年9月次男誕生。寝かしつけが世界一嫌い。夜の時間は大人のもの。ジーナ式、トレイシー式、安眠ガイド、ぐっすり本、魔法の習慣…などなど、ねんトレ関係の本を読み漁り、日々ねんトレに励んだ結果、趣味=ねんトレに。自分自身のねんトレ経験と子どもの睡眠問題、しつけなどについて綴ります。

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